「死」と向き合って

 先日大学の健康診断があったのだけれど、残念なことに血圧が基準値を上回ってしまい、再検査ということになってしまった。

自転車で坂道を全力で漕いで十分足らずでの検査だったので、さして心配はしていないがまた時間を割いて検査に向かわなくてはいけないのが面倒、これに尽きる。

検査センターは主に利用しているキャンパスからやや離れているので、そこまで移動するのも気が引ける要因であるしね。

高血圧の疑いが出てきて、不健康であるということ、ひいてはこれからの未来において「死」とどう向き合っていけばいいかということをふと考えた結果がこのエントリ。と言っても高血圧が怖いとか、そういう深刻な話ではない。

 

「深刻ではない」と前置きしておいてなんだが、僕に世間で言うところの「長生きする」という願望は一切ない。一切。

これには色々な理由がある。

まず第一に、僕は人に迷惑をかけるのが嫌いであるということ。

僕はJ.S.ミルという学者の「他人に迷惑をかけない範囲で人間の自由は保障される」という考え方が好きで、自分の行動の礎となっているところも大きい。

何に取り組むにしても周りに流され、宙に浮く凧のような主体性のない生き方を決して好まないゆえに、自分自身として自由な行動をしたいという思いが常にあるのだが、一方でその自由に誰かを巻き込みたくないという思いも人一倍強いと自負している。

世間で傍若無人にふるまっているような人は、自分の行動で誰かに不利益が生じるという観点が欠けていて、そういう振る舞いというのは傍から見ていても見苦しい。だからこそ自分はそうならない、視野を広くして見ず知らずの誰かの自由を妨害しない範囲で自分自身の自由を謳歌したいと考えている。

その一方で、その人を羨ましく思うところもあるのだが。誰かに迷惑をかけたくないという思いゆえに面倒事を背負い込んでしまうこともあるし、そもそもその考え自体世間体に縛られる僕自身を逆説的に表しているところもあるので、もう少しバランスを取っていかないといけないとは思っているのだが、それはまたの機会に。

随分と冗長に語ってしまった。結局のところ長く生きていくというのは、人によりかからなくては出来ないことである。

年を取ると肉体的、精神的に様々な障壁が生まれてくるであろう。

年老いて若年期の能力を失い、自分自身で制御できる範囲が狭くなっていくさまを痛感していくというのは大きな苦しみが伴うはずだ。

生きながらえた結果痴呆症になり、目の前が誰なのか、今自分がどこにいるのかもわからないまま、主体性を失いつつ人の手を煩わせて死への道を転がり落ちていくことに関して前向きにとらえることは難しい。加えて肉体的自由も制約されるのだ。自分の介護者も苦しい、今それを想像する僕も心苦しい。それならばその前に自分の人生を終えたいと思う。さすがに明日死ぬのとかは嫌だけれど。

自分の行為で迷惑をかけ、誰かの重荷になる、そして自分の自尊心も損なわれる。これが長生きを嫌う一つ目の理由。

二つ目に、今後の日本で高齢者への風当たりが強くなっていく懸念があるということ。

現在でもニュースになっている、年金支給開始年齢の引き上げ、それに付随する70歳雇用への動きなど、枚挙にいとまがない。

この調子だと僕たちの世代において年金が支給されるかどうかも怪しい。これから言われるがままに年金を納めていかないといけないのだが、自分たちがその年齢になった時にもらえないことがあるとすれば、なんという不公平だろうと思う。

自分たちの努力、行動が報われないこと。こんな悲しいことはない。正直昨今の動きを見ていると不安にならざるを得ない。

仮に年金がもらえないとして、その場合年金の分は年老いた自分自身の力で稼いでいかなくてはいけないのだ。全員にその力があるとはいえず、現実に抗えずに倒れていく人も出てくるだろう。当然僕も例外ではない。そんな未来の高齢者を救っていく政策を期待できるかというと、現在の政府を見ているとなかなか厳しいのが現状である。溜息出るよな。

ある意味僕ら世代は日本が生まれ変わる人柱的役割を担うのかもしれない。増えすぎた高齢者が衰えた自分の能力に直面しつつ、様々な難題と闘いながら自分自身の力で生活を強いられ、それに適応できない者が次々と倒れていく。高齢者から見れば暗黒郷だろうが、年齢層や人口数が整理されて社会保障など国単位で賄える方向に進んでいくという観点から見れば、未来の若者にとっては生きやすい社会になっていくのかもしれない。しかしながら、その未来を自分事として考えるならばなかなか前向きにはとらえられない。

 それならばその前に、生存競争からリタイアしたいというのが本音だ。

 

以上の二点が主な理由だろうか。これを読んだ人は悲観的になりすぎだと思うかもしれない。僕もそう思う。正直「死」への向き合い方の話から規模が大きくなりすぎている気はするし。

しかし一方では悲観のみならず、前向きに「早死に」したい思いもあるのだ。

率直に言って、僕は65歳手前くらいで生を終えたいという思いがある。

平均寿命は昔からずいぶん伸びて、80歳まで生きるのが当たり前になってきたが、そんなのは相対的観点でしかない。

「昔と比べて長生き」する人が増えただけで、僕には65歳も長生きだと思える。そもそも昔はその年齢は「長生き」だったのだし。その年齢でできるだけ自分の能力を保ちながら、急激な衰えなしに自身の生を全うできるならば本望だ。

結局のところ何が言いたいのかというと、「死」への向き合い方は人それぞれだということ。長いも短いも、その判断は当人にゆだねられているのだから誰がどうとか気にする必要はない。死生観を押し付ける必要も押し付けられる義務もない。だから僕は僕の基準で「長い」と思える65歳くらいまでは全力で生きたい。休みつつ、自分をいたわりつつ、頑張りたいことには頑張って。そのぐらいの歳に急に、糸が切れるように死ねれば最高だ。そんなものでいいと思う。

とは言え、自分の寿命は自分で制御できるものでもない。厳密に言えば、自分の手の届く範囲は限られている、運というものもあるし。

とりあえず65歳くらいまでは生きられるように努力するが、その先は望まない。

80歳を超えるのが普通なのだから、「長生き」するために身体をいたわるとかは極力考えない方向で。好きなように生活をする。ここらへん家族とかいれば変わるのかもしれないが。

 

最後に一つ。

人は後悔をする生き物だ。やるかやらないか、そんな二者択一の問題でも、どちらの選択にも後悔の可能性は残されている。自分の行動、思考を悔いる、そんな中で成長も後退もするのが人としての生の営みであるだろう。人は後悔からは逃れられない、そうであるならばできるだけそれを減らしたいと思うのが人の性だ。

僕は「人が死する瞬間」というのは、裏を返せば「人が最後に行う生の営みが映るとき」ともいえると思う。

誰かが死ぬとき、その人は最期の瞬間まで生きている。生きて、生きて、生き抜いて、それぞれの人生に幕を下ろす。それが人間の生きざまだろう。満足な死など幻想にすぎないのかもしれない、でも極力それに近いかたちを。自分の記憶、過ぎ去った多くの出来事の中で納得のいくものは多いほうがいい。

これからの未来、できるだけ多くの人が最期の瞬間、できるだけ少ない後悔で「最後の生の営み」を全うできる社会になっていくことを祈る。

 

 

 

 

「マイ・スタイル」を日本語で表現したい

僕は日本語が好きだ。どのくらい好きかというと、以前「日本語が好き」というエントリを編集しようと思い、下書きをしたためていたくらいだ(その計画は頓挫したが)。

日本という国に関して言えば、不満は数えきれないほどある。先日友達と飲んでいた時、「本当に日本の文句をよく言うよね」と指摘されて、確かにその通りだと口をつぐんでしまったくらいだ。

しかしながら、旧くから形を変えつつも受け継がれてきたこの国の言語、一つの意味を表す熟語・表現が無数にあり、それぞれ会話の中で工夫させていくような、そんな特殊な日本語が途轍もなく好きなのだ。

僕は最近、会話あるいは文中でカタカナ語、外来語をできるだけ使わずに表現する、あるいはそれらを日本語で言い換えることにハマっている。

このブログの中でも極力感じやひらがなで表現することに努めているので、実際に僕の文を読んでもらえれば解ってもらえるかなとも思う。

そんな姿勢は僕の日本語への探求心から来るものが殆どであるが、逆張りという側面もある。

昨今「エモい」という表現が若者の間で流行り、彼らのツイート、あるいはインスタグラムの文章に散見されるようになってきた。「彼ら」って僕も若者なのにね。

「エモい」を代表例として挙げたが、当然長い日本の歴史の中で流行の渦の中にあった若者独特の表現は数知れない。

しかし僕は流行の表現を安易に使うことを僕は好まない。

もともと天邪鬼なのだ。僕は人と同じことや同調圧力、そして権威主義を嫌ってきた。そして思考停止が嫌いだ。流行っているから使う、みんながやっているから自分もやる、偉い人が言っているから正しい、そんな時勢への阿りが見えるものをどうしても好きになれない。

そしてそれはカタカナ語・外来語をできるだけ使いたがらないやり方にもつながる。

システム・エンジニアはその分野に明るくない門外漢とのメールでも当たり前のように専門用語を使うらしい。当然理解できるわけがないし、その殆どはカタカナ語である。

考えてみれば大学の講義でも寄付講座、つまり外部の専門家(銀行員、保険会社員など)が来てくれてその分野の話をしてくれることがあるが、彼らも例に漏れずカタカナ語が多い。わかりづらい。

前の二つは極端な例で、結局のところ何が言いたいのかというと社会の中でカタカナ語・外来語を当たり前のように使う今だからこそ、その表現を日本語で再解釈することに自分の中で意味を見出しているということ。

でもこれは普通の人から見たら変だろう。「カルチャー」や「スタイル」で表現できる、伝わるのだから問題はないと言われればそれまで。でも僕はそうは思わない。

「なんでそう思わないの?」

これは日本語への気持ちと、天邪鬼な自分の性格が複雑に絡み合っているので言語化するのが少し難しい。一言で言えば「なんか嫌だから」。これしか言えないごめんなさい。

 

「なんか嫌」な気持ちを抱えた僕は、語彙力の向上に努めつつ、日々Twitterや人との会話の中で日本語での表現を磨き上げることに躍起になっていたわけだが、今日洋服について考えていたらふと思った(僕は服が好きなんです)。

「マイ・スタイル」って日本語でなんて言えばよいのだろう?

ここでの「マイ・スタイル」は服装あるいは服への向き合い方に関することを想像してもらえればよい。

よく業界人とかが言う、「これが僕のマイ・スタイルです」みたいな。抽象的になるのが心苦しい。言葉で伝えかねているので許してほしい。

うーん。なんて言えばいいんだろうな。わかりかねているので考えてみよう。

「マイ・スタイル」というのは流行や時間の経過、そしてその人を取り巻く環境に左右されない、自分自身の生き方さえ示してしまうような永続的な「何か」かな、というのが今のところの僕の考えだ。

そう、つまりはその「何か」を一言で言い表せなくて苦心しているのです。

「軸」?なんかしっくりこない、もっとどっしりとしていて屈強な言葉の方が自分の抱く印象と合致するような。なんとなく「軸」にはそれがない。いい言葉ではあると思うけれど。

「礎」はどうだろう。これは何かの基礎、土台という意味だけれど。「マイ・スタイル」は土台の上に成り立っているものなのではないかと思っている。堅固な基礎があるからこそ、それ自体も揺らぐことはない。そんな感じ。よってこれも違うかな。屈強な印象はかなりしっくり来たが、定義としては少しズレるか。

「生き方」。これはスタイル=様式、型を再解釈するとかなり腹落ちするところではあるけれど、前述のように「マイ・スタイル」はそのような生き方を包括していて、時々滲み出るようなものだと思うので少し違う。あと「生き方」だとどことなく堅苦しい。ちょっと明け透けというか、有り体に言って風情に欠ける。もう少し奥ゆかしさがあってほしい。

……。僕はどこに向かっているのかな?

こうして思考の迷路に迷い込んだ自分自身を、文章という媒体を通して可視化、客観視してみると甚く滑稽なものだと思う。

たかだか「マイ・スタイル」、この言葉のためにいくつもの言葉を紡いで、文章を作り出しながら屈強がどう、風情がどう、ええい、ああでもないこうでもないと一人つぶやいているなんて。先に述べたけど、普通の人から見たら変だ。

でも、これが逆に良いんだよ。簡単に解られてたまるか。

「マイ・スタイル」を日本語で表現したい。今日の考え事。

最近

時間の流れは早いもので、もう四月の中旬に差し掛かろうというところ。

新学期がスタートし、日常に忙殺され気味というか。端的に言ってブログに書くこともないというのが正直なところ。それはそれでいいと思うんだけどね。

ブログに対してはどうも実のある内容を求めてしまいがちなところがあって、でもたかがブログ。完璧主義は必要ではないですよね、いつも自分に言い聞かせていることだ。

そんなわけで、最近の生活の状況でも書いておくかな。このブログの位置づけとしてはTwitterの延長のようなものなので。意味のないことに意味を求めていく、自分にとってそんな場所になればいいなと思います。

 

最近の生活

 

7:30 起床。

8:10 弁当完成。

8:45 大学到着。

15:00 帰宅。

17:00 バイト出勤。

21:45 帰宅。

22:30 シャワー、歯磨き完了。

23:15 筋トレ終了。

∼ フリータイム

0:45 就寝。

以上。

小学生の夏休み計画表みたいだな…

これは基本パターンで、この中でバイト帰りも含め、週二回ほど飲みに行っています。外飲みが趣味なので。ここら辺については気が向いたら別途エントリを作成するかも。

気になる点をいくつか。

弁当。これは単純に、家計を切り詰めて飲み代を捻出するための策です。また昼時に学食の列に並ぶのも気が引けるので(当方は大学生です)。自炊も嫌いではないし、温かくなってきたこの時期は何とか朝早く起きられるので弁当を自分で作っているということです。趣味を楽しむためにも、なるべく続けていきたいところ。

筋トレ。これは夏を見越してのことですね。というのも、僕は体質上夏は痩せて、冬は太るというのが基本パターン(同じような人が多いと思う)。だから今のうちに内側の筋肉を鍛えて、基礎代謝が上がる夏に贅肉を落として割れた腹筋とご対面、という青写真を描いている。現実はそう甘くないとも思っているけれど、何とか続けていきたい。

こんな感じでしょうか。自分の中で一日の過ごし方が形式化されてきて、それはそれで味気なく無機質な側面もありつつ、基本的には小気味よく一日を過ごすことができているかなと。

久しぶりにブログも書いたし、記事作成も習慣の一つとして組み込むことができればなおのこと良いかなとは思うけれど、そこまで気を張るものでもないので。愉しくやっていければいいんじゃないでしょうか!ハイ終わり!

いい顔

写真フォルダを見返すというのは誰にでもあることだと思う。

何気ない日常の中でふと寂しさを感じる瞬間、旅行が終わり気の置けない友人と別れた後、そんなとき人は言いようのない孤独感に包まれる。孤独感と闘う日々を送る人にとって、写真というのは思い出を繋ぎとめる大切なものとなってくれるのだ。

そして僕たちはカメラロールを見返し、当時の記憶に思いを馳せるわけだ。僕たちというのは決めつけているみたいか。まあ少なくとも僕はそうだ。

そしていつものように昔の写真を見返して思ったのだが、当然ながら自分の表情が写真によって全然違うんだよね。当たり前のことなんだけど。年月を経て人は変わるし、太ったり痩せたりとかの体型的な問題もある。でもそんな違いを見ていて思ったのは、「いい顔している時季ってあるんじゃないか?」ということだった。

僕は四季の中で夏が好きで、このことに関しては以前少し話していたような気もする。

 

to-river.hatenablog.jp

 これこれ。

どうして夏が好きかというと、まずはほかの季節に触れておく必要があるかな。春は気温や服装など過ごしやすさは一応あるのだけど如何せん花粉症がキツイ。冬は光熱費など諸経費が嵩むうえに、寒い、日照時間が短すぎるなど色々な要因が重なって精神的に落ち込みやすい。本当に冬は嫌いだ。

まあそんなわけで春と冬は除外でき、残るのは夏と秋になるわけだけど、そもそも今の日本では秋をなかなか感じられないんだよな。春と秋はそれぞれ四季の上で「強さ」を持っている夏と冬の前の季節ということで、何かと比較されるような気がするのだけど秋は印象が薄い。最近は夏が伸びて、九月後半でも半袖で過ごせたりするし気が付いたら冬になっているような感じがある。これに対して春は、その時間が短くても「あの」花粉症のおかげでしっかりと認識することができる。何とも皮肉なことに、僕たちを苦しめるあの悪魔のおかげで、春という季節の訪れをまざまざと見せつけられるわけだ。

くだくだと語ったが、要は秋はあまり心に響いてこないということ。当然紅葉とかの良さはあるけどね。そして夏は日照時間の長さ、澄み渡る青空に吹き抜ける風の心地よさなど、高温多湿な環境に感じるストレスを補って余りある良さがある。一言でいえば心が躍る。こんな理由で四季の中ではダントツに夏が好きだ。

そんな夏の写真を他の季節と比べると、やっぱりいい顔しているんだよね自分。

どんな季節よりも夏が一番楽しいし、そしてきっとそんな心は自分の表情に良いものを与えているんだと思う。

人の内面というのはその人の外面に滲み出してきて、知らず知らずのうちに影響を及ぼすというのが僕の考えなのだけど、きっと健康な心が屈託のない笑顔に繋がっているのだ。そう思う。いや、夏のほうが基本的に冬より痩せているという体質上の問題も少なからずあるとは思うけどね。

それに比べて他の季節の写真は何か微妙だな。これは夏と比べた場合の相対劣化的なものや、自分自身の思い込みもあるかもしれない。そこは意識できるものでもないので断言はできないけど。

自分の写真でこういうふうに感じるということは、他の人もそうなんじゃないかと思う。

僕が夏を好きなように、他の人にもそれぞれきっと好きな季節というのはあって、きっとその時季には心が躍っているはず。そこまでいかなくても悪い気分は間違いなくしていないはず、だって好きなんだから。

そしてそんな季節、春でも夏でも秋でも冬でも、自分の写真を見返してほしい。

きっといい顔をしているはず。喜んでいる表情、楽しげにしている表情、物憂げな表情、怒っている表情(?)、きっとそれは輝いている。自分の好きな自分がそこにある。そして自分がいい顔のできる季節を愛でること、そんな季節にいい顔のできる自分を大切にすること。何気ない日常に彩りを添える確かな力がそこにある。

まだいい顔を見つけられないなら、いい顔のできる季節を探すこと、それだってきっと楽しい。

一日一日を楽しく生きようとする前向きの意思が積み重なって実りある日常を作るのだから。

カメラロールで探してほしい、いい顔している自分を。

探してほしい、いい顔できる季節を。

 

40~70

世の中には完璧主義者がいる。自分がやることなすことに非の打ちどころを許さない。何でもかんでも100%の出来でないと満足できない、そういう人だ。

そしてこれは紛れもなく過去の僕そのものである。

厳格な父のもとで育った僕であったが、小学三年で野球を始めたのが人生において最初の分岐点であったと思う。ましてや父は学生時代に甲子園を目指して一心不乱に白球を追いかける青春時代を送っていたこともあり、僕に指導する時の熱の入れようはとんでもないものだった。学生時代の僕たちの関係は親子と呼べるほど温かいものではなく、さながら師弟であった。師匠と弟子、そこには厳密な主従関係が成立しており、僕は父になかなか反抗できなかった。たとえ反抗したとしても、最後には僕が折れるのがオチだった、たとえ何があっても。

そんな関係性の中で野球をやっていた僕にとって、失敗は何よりも恐ろしいものだった。

不振が続くと「なぜ打てない?練習が足らないからだ」とバットを振る回数を増やされる。そうやって小学校三年から高校三年までの十年間で僕がバットを振る回数は年ごとに増えていった。正直生き地獄だった。最後のほうは練習が嫌で身が入らない上に結果も出ないので、結果が伴わないままに練習量だけが増えていく阿鼻叫喚の日々だったのが今でも鮮明に思い起こされる。

まあそんなだから僕は常に完璧を目指さざるを得なかった。打席に立てば4打数4安打を目指す。それが普通だと思っていた。

そして勉強。中学時代の序盤は学年でも上の中くらいの成績で、「これくらいなら上を目指さずに父の母校である工業高校に進学して甲子園を目指そう」などと思っていたのだが、運良く(?)中二の後半に成績が伸び始め、県内最上位校を目指すことになってしまった。

野球に取り組んでいたことで常に高みを目指す自分の土壌は出来上がっていたし、成績が伸びればみんなが喜んでくれた。だから迷いはなく、それが普通だと思っていた。

その高校に合格し、惰性で三年間を野球に費やし、浪人を経て大学進学を果たしたものの、その大学さえ「一年浪人する自分の学力に見合うのはここだろう」という考えから選んだ場所で、そこに確固たる僕の意思はなかった。入学後は自分の空虚さを認識することとなった。ある意味当然といえよう。

とにもかくにも完璧主義の自分を貫いて生きてきた僕は、己の空虚さに否応なく向き合うこととなり、そんな中でもその潔癖さを捨てられずに苦労してきた。

全てを完璧にこなすことのできない自分が許せない。

アルバイトでミスをする自分に落ち込み、信号をぎりぎりで渡れない自分に腹を立てる。野球ゲームでホームランを打たれるとスイッチを切ってゲーム機をベッドに投げつけ、布団を殴る。自炊しようと思っていた日につい外食をしてしまい、そのことが寝るまで気にかかる。

そんな僕に余裕などなかった。息苦しい生活、救いのない日々。それを作っているのは紛れもなく自分であり、自分を責めては悩む。元来ネガティブな性向も相まって、まさに負のスパイラルともいうべき日常だった。  

そんな日常が続いて、きっと限界を迎えたのだろう。

花粉症というのは、各人の体内に花粉を貯蔵するタンクのようなものがあり、それが限界容量に達すると発症するという仕組みらしい。そしてそのタンクの限界は各人によって違うのだという。

僕の場合、「完璧主義」のタンクの限界は21歳の冬だった。

その時は嫌なことがとにかく重なっていた時期だったと思う。

第一志望、第二志望のゼミの選考には落ち、自転車のバルブキャップは盗まれた。泥酔した帰りにスマートフォンの画面を割った。購入したトートバッグに解れがあった。イヤホンが急に故障した。

思い出すだけでもこれだけある。加えて季節は冬。公共料金は嵩むし、人肌恋しい季節なのに手を繋ぐ人さえ隣にはいない。もう限界だった。

自分に期待するのが嫌になってしまった。そして思った、「なんで俺は完璧を目指しているんだ?」

三割打てれば一流と言われる世界で4打数4安打、打率十割を目指す行為が途方もないものであるということを、最難関大学に合格できなければ命を失うわけではないということ。

当たり前のことが当たり前だと気づくのにこんなに時間を要してしまった。でもきっとそれが一番難しいのだろう。

人は思い込みに支配されてしまうことが多々ある。普通でないことを信じ込んだらそれが当たり前になる。だから宗教ビジネスなども横行するんだろう。

兎にも角にも、完璧主義の非現実性、ひいてはその虚しさに気づいた僕は「まあいっか」「大丈夫」をモットーとして、「完璧の手前」を目指すことに決めた。

「完璧の手前」というと100点満点のテストで90点くらいかな、と思う人も多いかもしれないがそんなに高望みはしていない。

完璧が100だとして、70くらいなら上出来だ。時には50だっていい、40でも許してやろうよ。30だったら少し考えるけどさ。

「許す」。最近の日本は本当に息苦しい。有名人の不倫はワイドショーでお茶の間に届けられ、何の関係のない一般人はそれに憤る。有名人は会見を開いて謝罪する。一般人の失言・失態は瞬く間にTwitter上で拡散され、何の悪気もないその行動は白日の下にさらされ、彼らの逃げ場所はなくなる。

僕たちはやり場のない怒りを自分の目についた失敗に向け、それを攻撃することで歪んだ自尊心を満たす、そこに許しはない。それが今の世界だ。なんか悲しくないか。

しかしそんな人が多くなっているのは、その人だけの問題ではない。人の幸福を喜べない人間だっているし、そんな気持ちの責任の所在はその人だけにあるものじゃない。もっと大きなものが原因だったりする。救われないからこそ、他者の失敗を糾弾することで何とか自分を保つ、ある種の自己防衛。そんな悲しみもわかっている。いや、わからなくてもわかりたいと思っているよ。

話が少し脱線したね。果たして僕が救われているのかそうじゃないのかはわからないが、とりあえずは自分の気持ちに折り合いを付けられた。そして自分を許すことができるようになった。

本当はこの「許す」関係の脱線は別記事で取り上げるべきだろう。若干無理やりな持って行き方だもんな。でもそんな自分を僕は許すよ。

許す気持ちに出会えたことで僕に余裕が生まれた。

僕は点滅信号を渡らない。時を刻む速度は決して変わらないが、人間生きていれば時間を早く感じたり遅く感じることのどちらもあると思う。だから生き急がなくていいんだ。

8時に起きたかったのに目を覚ましたら9時。まあいっか。別に誰かと約束していたわけじゃない。人に迷惑をかけたんじゃないんだから。それよりも一時間の遅れで済ませることができたことのほうが重要だ。

これってポジティブだよな?間違いないと思う。しかしそのポジティブさを創り出したのは紛れもなく元来のネガティブさである。例えるならば「負の数どうしを乗じると正の数になる」といったところか。無駄な過去なんかない、素直にそう思える。

完璧主義を脱した僕は落ち着いて、鷹揚に物事に対応できている。

僕は人の考え方、言うなればその人なりの「哲学」がその人の雰囲気を醸成し、「人」を作ってくれるのだとおもっている。

僕が紆余曲折を経た末に、こうやって物事に対してせせこましくならないように取り組むさまはどこかで自分を救ってくれるのだと信じている。その思い自体が僕の「哲学」なのだろう。

これから先いつかこの考えだって変わってしまうかもしれないが、とりあえず信じられるうちはこの「哲学」を貫いていこう。それでいいんだ。