いい顔

写真フォルダを見返すというのは誰にでもあることだと思う。

何気ない日常の中でふと寂しさを感じる瞬間、旅行が終わり気の置けない友人と別れた後、そんなとき人は言いようのない孤独感に包まれる。孤独感と闘う日々を送る人にとって、写真というのは思い出を繋ぎとめる大切なものとなってくれるのだ。

そして僕たちはカメラロールを見返し、当時の記憶に思いを馳せるわけだ。僕たちというのは決めつけているみたいか。まあ少なくとも僕はそうだ。

そしていつものように昔の写真を見返して思ったのだが、当然ながら自分の表情が写真によって全然違うんだよね。当たり前のことなんだけど。年月を経て人は変わるし、太ったり痩せたりとかの体型的な問題もある。でもそんな違いを見ていて思ったのは、「いい顔している時季ってあるんじゃないか?」ということだった。

僕は四季の中で夏が好きで、このことに関しては以前少し話していたような気もする。

 

to-river.hatenablog.jp

 これこれ。

どうして夏が好きかというと、まずはほかの季節に触れておく必要があるかな。春は気温や服装など過ごしやすさは一応あるのだけど如何せん花粉症がキツイ。冬は光熱費など諸経費が嵩むうえに、寒い、日照時間が短すぎるなど色々な要因が重なって精神的に落ち込みやすい。本当に冬は嫌いだ。

まあそんなわけで春と冬は除外でき、残るのは夏と秋になるわけだけど、そもそも今の日本では秋をなかなか感じられないんだよな。春と秋はそれぞれ四季の上で「強さ」を持っている夏と冬の前の季節ということで、何かと比較されるような気がするのだけど秋は印象が薄い。最近は夏が伸びて、九月後半でも半袖で過ごせたりするし気が付いたら冬になっているような感じがある。これに対して春は、その時間が短くても「あの」花粉症のおかげでしっかりと認識することができる。何とも皮肉なことに、僕たちを苦しめるあの悪魔のおかげで、春という季節の訪れをまざまざと見せつけられるわけだ。

くだくだと語ったが、要は秋はあまり心に響いてこないということ。当然紅葉とかの良さはあるけどね。そして夏は日照時間の長さ、澄み渡る青空に吹き抜ける風の心地よさなど、高温多湿な環境に感じるストレスを補って余りある良さがある。一言でいえば心が躍る。こんな理由で四季の中ではダントツに夏が好きだ。

そんな夏の写真を他の季節と比べると、やっぱりいい顔しているんだよね自分。

どんな季節よりも夏が一番楽しいし、そしてきっとそんな心は自分の表情に良いものを与えているんだと思う。

人の内面というのはその人の外面に滲み出してきて、知らず知らずのうちに影響を及ぼすというのが僕の考えなのだけど、きっと健康な心が屈託のない笑顔に繋がっているのだ。そう思う。いや、夏のほうが基本的に冬より痩せているという体質上の問題も少なからずあるとは思うけどね。

それに比べて他の季節の写真は何か微妙だな。これは夏と比べた場合の相対劣化的なものや、自分自身の思い込みもあるかもしれない。そこは意識できるものでもないので断言はできないけど。

自分の写真でこういうふうに感じるということは、他の人もそうなんじゃないかと思う。

僕が夏を好きなように、他の人にもそれぞれきっと好きな季節というのはあって、きっとその時季には心が躍っているはず。そこまでいかなくても悪い気分は間違いなくしていないはず、だって好きなんだから。

そしてそんな季節、春でも夏でも秋でも冬でも、自分の写真を見返してほしい。

きっといい顔をしているはず。喜んでいる表情、楽しげにしている表情、物憂げな表情、怒っている表情(?)、きっとそれは輝いている。自分の好きな自分がそこにある。そして自分がいい顔のできる季節を愛でること、そんな季節にいい顔のできる自分を大切にすること。何気ない日常に彩りを添える確かな力がそこにある。

まだいい顔を見つけられないなら、いい顔のできる季節を探すこと、それだってきっと楽しい。

一日一日を楽しく生きようとする前向きの意思が積み重なって実りある日常を作るのだから。

カメラロールで探してほしい、いい顔している自分を。

探してほしい、いい顔できる季節を。