昨日はブログを更新しなかった。

本当は毎日更新したいと思っていたのだが。一日一善的なアレね。

外出先にPCを持っていくのを忘れ、まあ家で書けばいいかなんて考えていたのだが、そんな中で友人からの飲みの誘い。金はなかったが断る理由もなく、15時からずっと飲んでいたので書けませんでした。ハイ。言い訳ですね。

とは言え別に義務でやっているわけでもないので、まあいいかと。100%に執着すると却ってダメになるというのが持論なので、テキトーにやって70%くらい、時には50%でもいいじゃないかと。そういう気持ちが大事。

というわけで気を取り直して更新していきましょう。

そんな気持ちの中の雨。今日は雨なのです。

昔は雨が好きだった。野球部時代は練習日ならば実戦形式の練習をせずに済む、試合ならば中止、そんな雨が嬉しくて仕方なかった。僕は野球が嫌いになっていたので。

雨への愛着にはほかにも理由があって、なんとなく落ち着いた気持ちになれるというのも大きかった。今ほどでないにしても当時から考え深さの片鱗は覗いていたのだろうか、静寂に響く雨音に耳を澄まして考え事をするのが好きだった。

きっとそんな風に雨の中で穏やかになっている自分への陶酔もあったかもしれない。困ったナルシシズムだ。ともかく、雨の日は淀んだ空模様とは裏腹に心が躍る、それが僕だった。

しかし、最近は雨が好きではない。

最近は生きることが楽しくて仕方がない。辛いことよりも楽しいことが頭に浮かぶ。

お気に入りの服を着て街に出かけること。馴染みの古着屋に行く、ドトールでコーヒーを飲みながら「源氏物語」を読む、ブログを書く、風景を目に焼き付けながらの散歩、いい飲み屋で酒を飲む。

今挙げたことの中にも考え事をする瞬間って結構あって、じゃあ昔と変わらないじゃないかなんて思われるかもしれないのだが。

確かに違うのは、前を向いているということ。 

 

to-river.hatenablog.jp

 日常の何気ない幸せに気付いた僕はそれを心から愛し、元気を失った時でもそれを頼りに歩いていくことができる。

今の僕はビルの隙間に見える青空のすばらしさに魅せられて日々を生きている。

晴れの日は心を躍らせてくれるものであり、雨の日は自分のネガティブさを増長させるものなのだ。そしてそれは日々を楽しく生きていくうえで困難な壁として立ちはだかる。

だから雨よりも晴れが好き。雨の中で物思いにふける自分自身に理想を投影する必要はなく、その理想にすがらなくても今の僕は生きていけるのだ。

ここまで理屈なんだかよくわからないものをこねくり回してくだくだしく書き連ねてきたが、結局のところ言いたいことはただ一つ。

早く夏になれ!照り付ける太陽と透き通るような青空の素晴らしいあの季節に連れて行ってくれ!

……。売れないCDの安っぽいキャッチコピーか。