幸せのカタチ

昨日は一人で酒を飲んでいた。それ自体はいつもと変わらないのだが、昨日はいつにもまして人生について思索してしまった。…それもいつもとあまり変わらないかもしれない。

もともと外飲みしようと思っていたのだけど、なかなか店を決めることができずに一時

間ほど駅の近くを歩いていたのではないかと記憶している。日中も外出していたので、昨日は一日で三万歩近くも歩いてしまった。健康的か。

長いこと歩いていると、自然に物思いにふけってしまう。

店を決めかねて歩いていると、何かのイベントでバーが貸し切りになっていた。幸せそうな空間。幸せってなんなんだ?

恋愛か?結婚か?巨万の富を得ることか?歩き続けても答えは出ず、その後適当に入ったおでん屋でも答えは出ない。

おでん屋を出て再び件のバーを訪れると貸し切っていた団体が解散したようで、一人の客もいなかったので入店した。

白ワインをデカンタで頼み、お通しとエビのフリッターをアテにゆっくりと飲る。

カウンターに座ってワインを飲んでいた僕の脳内は同じことを考えるのみで、取り留めもなくぐるぐると回っている状態だった。

そもそも金曜日の夜に一人で酒を飲むのはどうなんだ。いや、一人で飲むのだって楽しいよ、だけどいつも一人じゃ寂しいよな。今の自分は幸せといえるのか?

子供が「なんで自分は生まれてきたんだろう」って思うようじゃ俺たち大人の意味はないなんて、妻もいない、あまつさえ恋愛経験のない男の考えることじゃないぜ。そもそも一人で酒を煽ってそんなこと考えているのは異常だ。

そんなことを考えているうちに時間は過ぎ、会計を済ませた僕は家路につく。

風呂に入り髪を乾かし、睡眠して目を覚ます。洗濯物を干す。心は晴れやかではない。

今日はマックで本を読むか。そう思って家を出る。その途中友人とLINEをする。

内容は昨日の自分自身に投げかけたそれと同じ。「幸せってなんなんだ」

彼は答える、「美味い飯が食えればそれでいい」。

そのLINEの途中、Twitterのタイムラインで見かけたツイートがやけに気にかかる。

 

フリート横田大先生。

そういえば俺も空を見ていない。上を見上げると雲一つない快晴の空。

ビルの間にも青空は覗いていた。「よく見るとどこからでも青い空が見えるんだな」ただ純粋にそう感じた。

そして「美味い飯が食えればそれでいい」

そうか、幸せは。

自分の心にかかっていた雲が晴れていくかのような爽快感を感じ、一気に自分の考えが紐解かれていくように思えて嬉しくなった。

そうか、幸せはきっと日常の些細なことなんだ。普段僕たちが幸せの代表例として挙げる、「成功」などと呼ぶものはきっと目の前の一瞬を笑顔でいたいとか、楽しく過ごしたいなどといった前向きの意思に裏付けされた小さな行動が重なっているものなのか。

そしてきっとその小さな行動一つ一つが「幸せのカタチ」なのだ。

ビルの隙間に垣間見える青空のように、日常の何気ない部分に僕たちの幸せは潜んでいるのか。それはなかなか気づくことは出来ないが、ふと見つけた瞬間にとても愛おしく感じることができる、その尊さを抱きしめることができる。そういうものなんだ。

なんだかあれこれと難しく考えていたのがバカバカしく思えてしまった。

僕はいつもそうだ、何か考え事をするとその物事の裏側や奥深くを覗き込もうとして、思考の迷路に迷い込む。だから考える自分を辛く感じてしまう。

でもきっとそれでよい。

色々と悩み、その果てに自分が気付く答えは一度通り過ぎたもの、見落としたものだったりする。しかしそれは自分が様々な景色を目に焼き付け、多くの経験をして見出すことのできる領域のものなのだろう。回り道は無駄ではない。

そんなふうにして今日も何気ない「幸せのカタチ」に思いを馳せる。