芸能人という花形

芸能人。テレビの向こうの住人、ディスプレイの向こうの輝き、住む世界の異なる人々。

僕たちは子供の頃から「昨日のドラマの誰々がかわいかった」「コンサートの誰々めちゃくちゃ格好良かった」そんな会話を繰り返すことに慣れ、今ではインスタグラムやTwitterで彼ら彼女らの姿に癒されている。

芸能人は我々一般人にとっての花形であることは紛れもない事実である。そして彼ら彼女らには当然ながらその資格がある。その資格は誰にでも掴めるものではない。

他を凌駕する圧倒的な容姿、天賦の才、類まれな運の強さ。比類のないものを携えた彼らは今日も僕たちに生きる原動力を与えてくれるわけであるが、素晴らしいものを持っている彼らにも当然ながら多くの難題が立ちはだかる。

現代社会にインターネットは不可欠である。また、全盛期ほどの勢いはないものの紙媒体もなお残っている。加えて現代の「許さない社会」。

彼らは不用意な発言をすれば「ネットの玩具」にされ(これは我々一般人にも当てはまることではある)、プライベートは監視される。

男女交際をすれば騒がれ、不倫をすれば見ず知らずの他人からも容赦ないバッシング。

芸能人はこれが普通と思われているが、本当にそうなのかな。いや別に不倫を擁護しているわけじゃないよ、そりゃあ良くないことだしね。ただそれを無関係の我々が水を得た魚のごとくぶっ叩くのは違うんじゃない、という話。

芸能人と一般人、住む世界は違えど同じ人間。一個人として尊重されるべき存在。

だからこそ昨今の流れにはいささか疑問であるし、その中でひとかどのプロフェッショナルとして僕たちにエンターテインメントを提供し続ける彼ら彼女らに僕は賛辞を惜しまない。

僕たち人間は優れたものを羨む気持ちを捨て去ることができない。誰しも無意識に高みを目指すものであり、自分がそうなれないという焦燥感、無力感は計り知れないものであり、それらは知らず知らずのうちに人に攻撃性を与えかねない。僕もよくわかる。

高校時代野球をやっていた僕は控え選手だった。自分でこれ以上ないほどの鍛錬を積んでもレギュラーの選手との実力差は歴然。努力が報われるわけではない世界を知った僕は攻撃的になり、彼とも軋轢が生まれた。

今だってそうだ。自分より身長の高い人が羨ましい。裕福な人が妬ましい。そんな思いは当然ある。あるけれど。

人の行動を一面的に見るべきではない。僕が常日頃から心がけていること。

優れたものを羨み、自分と同じところまで引きずり降ろそうとする醜悪な心。その裏側には自分がなれないものへの憧れ、高みにいる人たちへの尊敬、そんな心も確かにある、そう思っている。

「弱い奴の気持ちもわかってくれ」よく目にする言葉ではないか。醜悪な心が表に出て、品性下劣な行為に至ってしまうその人達の気持ちもわかりたい。わからなくてもわかろうとしたいと思っている。そのうえで良くないことは良くないと主張していたいのだ。こうして文に起こしてみると難しいことをやりたがっていると思うのだけど。それでも色々な視点から見てみたい。

話を戻そう。芸能人に対する僕たちの態度には、彼ら彼女らへの敬愛、嫉妬、憧れ、様々な感情が見え隠れする。だからこそ日常で彼らを讃える一方、目も当てられないような行動に走ったりする。人間は感情の動物であり、感情とは厄介なものなのだ。

しかしながら、そんな中でも芸能人は常にその輝きを絶やすことなく僕たちに見せてくれる。

普段生きている僕たちが無意識のうちに表に出してしまう怒り、悲しみ。目にしたくないもの。

そういったマイナスのものを押し隠してひたすらに光を当て続ける。きっとその裏側には数々の努力があるだろう。多くの羨望を集める彼ら彼女らにも苦しみはきっとあるのだ。

「ファンの方々のおかげで」彼ら彼女らの口からよく聞くフレーズである。紛れもない本心かもしれない。でもそうじゃないかもしれない。

理解に苦しむような行動をしてしまうファンだっているだろう。マスコミに追われ日常の生活に制約がかけられてしまうことだってあるだろう。許せない思いだってあるだろう。

彼ら彼女らはそんな数々の感情をぎゅっと心の内側に押し込み、満面の笑みでそのフレーズを口にする。僕はそのフレーズの裏側にある抑えられた思いを想像すると、ひどく心がざわめく。芸能人の方々に感服せざるを得ない。

「芸能人」とは僕たちが創り出した虚像なのかもしれない。僕たちの期待に沿って出来上がったまやかしなのかもしれない。しかしその虚像で救われるものもある。

その救いこそがエンターテインメントであり、彼ら彼女らがプロフェッショナルであることの証明になるのだ。

その実像がどうであれ、彼ら彼女らは今日もテレビの向こうで、ディスプレイの向こうで異次元の輝きを放つ。

「とても頑張ってること 羨むんではなく敬いたい」

僕の好きなバンド、Every Little Thingの「ハイファイ メッセージ」の一節である。

僕の中にはどっちもある。でも、敬いのほうがはるかに大きい。

その輝きに魅せられる僕はそれに手を伸ばしながら、今日もどうにか生きていける。